孤独な私がおしゃべりしたい時間

孤独な私がおしゃべりしたい時間

月平均15冊以上本を読む魔女の読書記録と心に残ったあれやそれ。

MENU

性犯罪の被害者の"あるべき姿"への疑問

f:id:witch_of_book:20190819204153j:plain

2019年12月18日は驚くべき日でした。

 

 

東京地方裁判所はジャーナリストの伊藤詩織氏が

元TBS記者の山口敬之氏に強姦されたとして損害賠償を求めた訴訟で

山口氏に300万円の支払いを命じたのです。

伊藤詩織氏が勝訴、強姦めぐる訴訟で元記者に賠償命令 - BBCニュース

 

 

この事件は山口氏に対して逮捕状が出ていたにもかかわらず、

逮捕直前で"ストップ"がかかり逮捕されなかった異例さ、

 そして逮捕状執行停止を決裁したとされる中村格氏が

官房長官の元秘書官であったことから

 

単純な「性犯罪事件」としてではない側面でも

SNS上で注目を集めていました。

 (テレビではあまり報道されなかったようですが…)

 

 

政権中枢の人物と関係のある被疑者が

権力にすり寄って司法の手を逃れた、逮捕状執行停止を勝ち取った

という疑惑がささやかれ

 

この点から政権支持者と不支持者の間の論争へも発展しました。

 

 

そうした陰謀論がささやかれた事件が

逮捕状執行停止、不起訴相当と

刑事裁判がなされなかったにも関わらず、

 

民事訴訟の場にて、山口氏への賠償請求が認められたことは

非常に注目すべきことと思います。

 

 

今日の記事では

山口敬之氏の会見などを見て私が考えたこと・疑問に思ったことで

どうしても読者の方に伝えたいことがあり、

キーボードを叩いています。

 


テーマは「性犯罪被害者が"どう見られているのか"」

「性犯罪の被害者の"あるべき姿"への疑問」です。
※あくまで事件の真偽は司法が論じるものであると考えますし裁判も続くと思います。

この段階では、地裁の判決に基づいて「合意のない性行為」があったものとして

記事を書いています。

 

 

山口氏のふたつの記者会見

①12/18の記者会見

東京地裁の山口氏への賠償請求を認める判決が出た後、

山口氏は記者会見を開きました。

 


↓12/18記者会見の動画↓ 


元TBS記者に賠償命令 山口氏控訴へ 会見ノーカット

 

 

ここで注目を集めたのが

 

「本当に性被害に遭った方は伊藤さんが本当のことを言っていない、
それからこういう記者会見の場で笑ったり、上を見たり、
テレビに出演してあのような表情をすることは絶対にない」

 

と山口氏の元に連絡をした"本当の"性犯罪被害者の方が証言したという部分。

news.livedoor.com

 

 

Twitter上でも非常に注目を集めましたし

私自身の心にもある疑問が湧きました。

 

 

②12/19の記者会見

加えて12/19 日本外国特派員協会の会見では

19分ごろ山口氏の弁護士が

伊藤詩織氏の裁判時の供述の矛盾点を指摘したうえで

 

「性犯罪の被害者は正直に話すのが普通ではないでしょうか」と発言しています。

 

↓日本外国特派員協会での会見の様子↓

【ノーカット】元TBS記者 山口敬之氏が日本外国特派員協会で会見

 

↓日本外国特派員協会での会見 文字起こし版

元TBS記者の山口敬之氏が会見(全文1)「Black Box」は全てうそか妄想(THE PAGE) - Yahoo!ニュース

 

 

 

"本当の被害者"のすべき行動

 


「本当の性犯罪被害者の行動」「性犯罪の被害者の普通」とは何でしょうか?

 

 

12/19の記者会見ではフリーランスのえがわ氏(正確な漢字がわからないので平仮名に)が

12/18の山口氏の発言、

12/19記者会見内の山口氏弁護士の

「性犯罪の被害者は正直に話すのが普通ではないでしょうか」という発言に触れ、

 

 

「レイプ被害者が普通取るべき態度とは?」

山口氏と山口氏の弁護士に質問しました。(45分ごろ)

 

 

これに対して山口氏は

 

「本当に性被害に遭った方は伊藤さんが本当のことを言っていない、
それからこういう記者会見の場で笑ったり、上を見たり、
テレビに出演してあのような表情をすることは絶対にない」

 

という発言はあくまで、

性被害に遭われた方が自分に教えてくれた事

でありご自身の発言ではないと回答。

 

 

山口氏の弁護士は再度伊藤氏の供述の矛盾点を上げ

「被害者が嘘をつくのか疑問」と回答しました。

(日本外国特派員協会での会見 49分ごろ)

 

 

山口氏の回答は「引用でした」(自分の意見ではない)
山口氏の弁護士の回答は「"被害者"が嘘をつくのはおかしい」

 

という回答で「レイプの被害者が普通取るべき態度とは?」という質問には

明確には答えなかったように感じました。

(山口氏もご自身の意見ではないと主張したものの自身の発言を補強する引用として使用しているのですから完全に同意しないということは無いのではと考えます)

 

 

また、判決後SNS上では

伊藤氏が「複数愛(ポリアモリー)」の広告塔である、

「レイプ被害を訴えた人が複数愛を呼びかけるのは疑問」

という発言も見受けられました。

 

 

これらの発言を目にして奇妙だなと思ったのは

「レイプ被害者はこうあるべき!!!」という通念が

かなり強くあることでした。

 

 

犯罪の被害者の"事実"

縁起でもないですが

殺人事件の被害者に自分がなってしまったと想像してみてください。

 

 

そこには「殺された(死んでいる)」という事実があります。

また「死体はしゃべらないべき」「死体は笑わないべき」

なんて言われても、当たり前(というか物理的に無理)なのはわかります。

 


強盗に遭ってしまったら

「被害者は財産を奪われているべき」

ってそりゃそうだって話ですよね。

 

 

「強盗に遭った」んだから。

 

 

でも、拳銃を突き付けられて

お金を渡してしまったとしても

「喜んで自分から財産を渡した」とか、

 

事件後にスーパーで買い物したとして

「強盗に遭ったのにお金を使うのはおかしい!!」

とか言われることは少ないのかなと思います。

 

 

強盗に遭うことは怖いことだけど、

その体験談を率先して他の人に広めて教訓にしてもらおう!と活動して

「強盗に遭ったくせに人前に出るなんて…」

と言われることがどれほどあるでしょうか。

 

 

レイプ被害者の"事実"

同じようにレイプ被害者も

「合意なく性行為をされた」ということが事実なのではないでしょうか。

 

 

確かに事件後、とても記者会見をしたり、

テレビに出ることが出来ない人もいると思います。

 

 

レイプは魂の殺人とも言われています。

当然のことでしょう。

 

 

じゃあ被害者はみんな同じ反応を示し、

一様に笑顔を無くし、誰にも笑顔を見せず生きていく

 

それが「被害者」なのでしょうか。

 

 

人間は人それぞれ、

抱えている気持ちも経験も、意思の表し方も

生き方だって、何もかもが違うものではないでしょうか。

 

 

「被害者はこうあるべき」という主張こそが

性犯罪の取り締まり方をゆがめているような気がしてなりません。

 

また、これはレイプだけの問題ではないとも思います。

 

 

痴漢の被害者なら

 

牧野雅子さんの「痴漢とはなにか」では、

痴漢事件の多くに適用される迷惑防止条例の卑猥禁止条項が

"性的な羞恥心の侵害"を禁じている、ということが記されています。

 

 

つまり被害者の供述調書には、

例え被害者が怒っていたとしても、

「性的な恥じらいを感じました」ということを

全面的に押し出さなければいけないのです。

 

 

痴漢の被害者は"羞恥心を感じているべき"と条例で定められているのです。

痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学

痴漢とはなにか 被害と冤罪をめぐる社会学

  • 作者:牧野 雅子
  • 出版社/メーカー: エトセトラブックス
  • 発売日: 2019/11/07
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

私が痴漢"被害者"になった時

私は高校生の時に電車で痴漢に遭いました。

 

 

そこまで混んでいない電車なのに

自分と背中合わせに立ってくる男性がいて

少し奇妙に感じました。

 

 

しかし私は手すりに背を向けて立っていたので

相手も手すりに掴まりたかったのだろうと

最初は気にせず友達としゃべっていました。

 

 

触られた時はすぐにわかりました。

手の甲で尻を撫でているのです。

 

 

さりげなく自分の手で押しのけましたが、

直ぐに手を戻して触り続けました。

 

 

気持ち悪かったし何より怖かった。

 

 

友人に「向こうの車両に行かない?」と言って

直ぐに車両を移動しました。

 

 

別に恥ずかしくは無かったです。

ただ気持ち悪かった。

 

 

触られたと口にし、

自分自身の耳でそれを聴くのも気持ち悪くて

友人にも親にも言えませんでした。

 

 

人の体に勝手に触れるのが「痴漢」であると

私は考えるので「痴漢」という言葉を使用しましたが、

条例で考えれば私は性的な羞恥心を感じていないので

「痴漢には遭っていない」とみなされてしまうかもしれません。

 

 

私は「痴漢には遭っていない」のでしょうか?

 

 

性犯罪の被害者は若くてかわいい女性

先ほどの痴漢の経験は誰かに話せば

「痴漢だよ!」と同意してくるかもしれません。

 

 

では被害にあった私が55歳、

中年の女性だったとしたらどうでしょう。

 

 

性的な嫌がらせの告発は

どんな年齢の被害者であっても可能です。

 

 

しかしある年齢やある容姿の被害者に対しては

「お前みたいなババア、誰も襲わねーよ」とか

「ブスだから男の気を気を引こうとしたんだろ?」などと

心無い言葉を投げつける人たちもいます。

 

 

そうした人の心の中では性犯罪の被害者は

「若くてかわいい女の子」だからです。

 

 

「若くてかわいい女の子」だから

男性の性欲を煽って性犯罪を誘発させてしまうのです。

 

 

んなわけあるかい!!!!

 

 

性暴力と性行為の違い

一般的に"男性から女性への性犯罪は性欲に基づくもの"と考えられがちですが

その実、性欲よりもむしろ

「男性性の達成」という目的でなされるという研究結果があります。

 

 

すなわち、男性が「理想的とされる男性性」を達成できない時に

犯罪を犯してでも男性性を達成しようとして

性犯罪を犯すケースがあるのです。

 

 

詳しくは以前フェミニズムは「女のためのもの」じゃないって知ってた? - 孤独な私がおしゃべりしたい時間で取り上げた

ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた

--あなたがあなたらしくいられるための29問」

(著:一橋大学社会学佐藤文香ゼミ生一同)

簡単な言葉で解説されていますので興味のある方はご覧ください。 

 

 

性犯罪が「性欲」に基づいてなされると捉えることもまた、

性犯罪への認識を歪めることに繋がっていると感じます。

 

 

性犯罪は「暴力」であり「性行為」ではありません。

 

 

勿論動機が「性欲」であっても許されるべきではないことに

変わりはありませんが、

そもそも通常なされる「性行為」とは本質的に異なるものだ

認識すべきだと考えます。 

 

 

誰でも被害者になる

殺人でも強盗でも、性犯罪でも。

 

 

悲しいことに、どんな犯罪でも、

誰もが被害者になる可能性があります。

 

 

そして事実として言えるのは

「被害に遭った」ということであり、

 

 

「被害者はこうあるべき」といった

被害者である資格は存在しません。

 

 

このことがもっともっと知られてほしい、

一般的な認識として浸透してほしい。

 

 

そう思ってこの記事を書きました。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

魔女(まじょ)@意識は高くないマン (@korokorokemari) | Twitterでした。

自分が読みたくない記事を量産しない方法

ブログの書き手として言うことでもないかもしれないんですが、

敢えて言いたい!!!!

 

あなたは、自分のブログ、

読者として読みたいですか?

 

f:id:witch_of_book:20190826222119j:plain

叫べ!!!!!

 

今回は

  • ブログの毎日更新で感じた自己嫌悪
  • ブログがスカスカな内容になってしまう理由
  • おもしろい記事を書くにはどうすればよいか

について書いていきます。

 

キーワードは「自分が読みたいと思うか」です。

 

調べて出てくるブログの大半が同じ情報の書き方を変えたものじゃないですか⁉

知りたいこと、わからないことを検索すると出てくる

上位サイトの多くがまとめかブログですよね。

 

 

自分の知りたい答えがあるか、上からざっと見ていくと

その大半の中身はほとんど同じです。

 

 

需要と閲覧数の関係から検索エンジンに評価されるサイトが

類似してしまっているのかもしれませんが、

情報を検索する側としてはモヤモヤします。

 

 

 

ブログってつまらない文章多くないですか⁉

更に大半がほとんど同じ内容な上に、上滑りというか

読んでもわかるようなわからんような文章が多い印象なのも悲しいです。

 

 

「いかがでしたか?」って

そもそもあなたはこの内容を理解しているのですか?と

執筆者に問いたくなるような記事も時々見かけます。

 

 

このネタで書けば広告費が稼げる、と考えての執筆かもしれませんが

正確な情報を得たい検索者にとってはノイズに感じてしまいます。

 

 

 

毎日更新しようとすると始まる自己嫌悪

私自身、このブログの毎日更新を心がけた時もありましたが、

熟成させずに出した文章ほどどこかの切り貼り、

SNSから取ってきたような内容でつまらなくなり、

自分が嫌になってしまいました。

 

 

じゃあどうしたら

  • 上滑りしない
  • 面白味のある
  • 役に立つ

形で情報を提供できるのでしょうか…?

 

 

「読みたいことを、書けばいい。」という話

悩んだ末に手に取ったのが「読みたいことを、書けばいい。」(著:田中泰延)でした。

 

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

 

 

 

本当に文字通り「読みたいことを、書けばいい。」というだけのことであれば

実はブロガー界隈ではよく言われていることですよね。

 

 

「過去の自分に向けて書きましょう」

「自分が知りたいと思うことを、他の人も知りたいはず」

 

 

田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。」では

自分が求めている情報を他の人に与える、という内容面だけでなく

文章の構成や中身の充実具合にも応用できる考え方を与えてくれます。

 

 

 

一番大切なのは「調べる」こと

「読みたいことを、書けばいい。」には

『物書きは「調べる」が9割9分5厘6毛』という節があります。

 

 

そこでは

『人間が創造したものにはすべて「文脈」がある』と述べています。

原型、下敷き、模倣、引用、比喩、無意識…

そうしたバックグラウンドの上に個々の創造物が生まれます。

 

 

それら下敷きになったものとどう関連しているか、

どう発展させているかというのを、

ちゃんと調べて指し示すと、読む人は「ああ、なるほど」となる。

「読みたいことを、書けばいい。」p147 

 

 

個々の事例、作品についてなにか書くにあたって

そのバックグランドを一次資料にあたって調べたうえで

語ることで深みが出るのです。

 

 

文脈を調べる、とは――文脈を味わう楽しさを知る

文脈を調べて作品を味わう例としては

批評を楽しむための一滴の蜜 - 孤独な私がおしゃべりしたい時間という記事で

ご紹介した「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」がおすすめです。

 

アナと雪の女王」や「ファイト・クラブ」など有名な作品を

"フェミニズム"というひとつの切り口で分析し、

文脈から作品をどう読み解くかという流れを見せてくれています。

 

優しい語り口で新しい興味を与えてくれる

非常におもしろい本でおすすめです! 

お砂糖とスパイスと爆発的な何か—不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

お砂糖とスパイスと爆発的な何か—不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

  • 作者:北村紗衣
  • 出版社/メーカー: 書肆侃侃房
  • 発売日: 2019/06/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

witch-of-book.hatenablog.com

 

 

"一次情報"がなんとかかんとか…わけわからん!!

という人におすすめなのが森見登美彦氏の「熱帯」です。

 

 

最後まで読んだ人がいない、という佐山尚一著の幻の小説「熱帯」。

「熱帯」はどんな結末を迎えるのか知りたくて

読者たちを追いかけるも次々と行方不明となり、

それぞれが手にした「熱帯」の物語が展開されてゆきます。 

 

 

 作品自体は入れ子構造になっていてやや読みにくい部分もありますが、

情報を追いかけていくという視点では

「熱帯」というたった一つの本を追いかけるだけなのに

なんと難解な展開が広がっていくのか、実感できるはずです。

 

 

難解でややこしいのですが、それぞれが一次情報を追い求めた結果

物語が広がっていく…という点で非常におもしろ味があると思います。

熱帯

熱帯

 

 

 

 

【余談】その情報って信頼できるもの?という疑問

人様のブログにとやかく言うことじゃない、

と思いながらも一節だけ。

 

 

私が一番「その情報って信頼できるもの?」と

怪しむことが多いのが「心理学ブログ」です。

 

 

人間関係や恋愛の悩みで検索すると

かなりの頻度で上位に挙がってくると思うのですが

これって信用してよいものなのでしょうか…?

 

 

これは心理学が怪しいという話ではありません。

現に私は大学で4年間心理学を専攻していました。

 

 

その中で学んだのは「心理学は統計」だということです。

心理学は人の心や行動を実験や個別ケースから分析したもので

数学のように「1+1」が必ず「2」と一つの答えになるわけではありません。

(※1+1=2にならない!みたいなケースの話は今は除外しています、すみません…)

 

 

また、それぞれの実験結果や個別ケースをどう分析するかの部分には

その研究をした研究者がどの学派、

つまりどの文脈に属しているかによって異なる解釈が行われているはずです。

 

 

そういったことを踏まえずに

「○○という理論があるんです!!」と

絶対的な法則のように紹介する“心理学ブログ”には違和感を覚えます。

 

 

もっとも「他人の子ことを上手く扱えたら…」というのは

人間の永遠の欲望ですから、そういった意味では

不十分な情報であれ、欲求の解消には一役買ってると言えるでしょう。

 

 

私自身はこうしたブログには

もっとバックグラウンドを踏まえた記事を書いてくれ…と思いつつ、

そんなことが出来るなら心理学講義として

お金を得るレベルの技量が必要な気もするので

いつも口をつぐんでブラウザを閉じることにしています。

 

 

 

まとめ 「自分の内面を語る」ことについて

「読みたいことを、書けばいい。」にはこんなことも書いてありました。

 

つまらない人間とは「自分の内面を語る人」

(「読みたいことを、書けばいい。」p140)

 

 

自分の内面を語るの(とコピペ)はすっごく楽です。

何より楽なのは一次情報が自分自身だから

調べる手間が省けることでしょう。

 

 

でも「私の内面」「あなたの内面」、

好意を抱いている人以外誰も読みたくはないと思います。

 

 

一次情報にあたるのは時間がかかりますが、

それでも「自分が読みたい」と思う記事を書き続けるには

1つ1つの記事に時間をかけるしかないのかもしれません。

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

魔女(まじょ)@意識は高くないマン (@korokorokemari) | Twitterでした。

 

「相容れない価値観」とどう接するか

f:id:witch_of_book:20190811205801j:plain

自分以外を知る

SNS界のムーブメントの先駆者「インフルエンサー」。

 

 

今やその活躍はSNSだけではないですね。

一歩書店に足を踏み入れれば、店頭の目立つ場所で

インフルエンサーの本が売り出されている光景は

全く珍しいものではなくなりました。

 

 

インフルエンサーは発信の方法や演出が魅力であり、

一方で「本」という形に押し込めてしまうと

中々興味を持ちづらい部分もあるのでは…?と思います。

 

 

では誰がインフルエンサーの本を買うのかと言えば、

それは"ファン"の方なのではないでしょうか?

 

 

写真集を買う様に単行本を買う。

そんな本の買い方が一般的になりつつあります。

 

 

先日、ついに私が注目しているインフルエンサー

ハヤカワ五味さんが著書を発売されました!!

おめでとうございます!!

 

私だけの選択をする22のルール あふれる情報におぼれる前に今すべきこと
 

 

 

今回はハヤカワ五味さんの著書

「私だけの選択をする22のルール」をご紹介しながら

"選択"の重要性について考えていきます。

 

 

今回の結論は

  • "選択"するためには、"選択"できる環境を作ろう!!
  • 相容れない価値観を認めなくていい

の2点です。

 

 

 

「私だけの選択をする22のルール」とはどんな本なのか

15歳でビジネスを始め18歳で起業した若き経営者・ハヤカワ五味さん。

一見、光り輝ているように見えるハヤカワさんの人生ですが、

その陰にはいつも「悩み」がありました。

 

そしてその悩みを解決してきたのが"選択"という行動でした。

 

「私だけの選択をする22のルール」では

ハヤカワさんが幼少期から現在までの経歴や

社会との関わり方を見つめながら"選択"の重要性を伝えています。

 

 

著者のハヤカワ五味さんについて

1995年生まれ。

中学2年生の時読んだ古屋兎丸先生の「彼女を守る51の方法」をきっかけに

ロリィタファッションに興味を持ちます。

 

しかしロリィタファッションは1着2~3万円が相場。

とても中学生が購入出来るものではありません。

 

 

そこで「自分のほしいものは作る」の精神で

ロリィタ服を作るようになったそうです。

 

 

そこから、自分好みのタイツを作ろう、

欲しいと言われたので売ってみよう、と制作の幅を拡大。

 

 

胸が小さい人向けのランジェリーブランド「feast」を立ち上げ後、法人化。

現在では生理カルチャーの脱タブー化など、

アパレルだけでなく社会問題についても

活動の幅を広げている女性です。

 

 

ハヤカワ五味さんの経歴については

Twitterのハヤカワ五味さんご自身のモーメントもご参照ください!

 

 

 

 

"選択"できない人

「私だけの選択をする22のルール」の"はじめに"では

現代の世の中がこれまでの世の中とは

大きく異なっているポイントを指摘しています。

 

 

私たちは歴史の中で参政権など多くの権利を勝ち取り

「選択肢がない」という悩みを超えてきました。

 

しかし一方で現在は情報過多社会。

選択肢があまりに多すぎて

「選択肢の中から選ぶことが出来ない」という

新たな悩みが出てきたと指摘しています。

 

 

また、ハヤカワ五味さんは本書の中で

会社員の父親とパートタイマーの母親、

そして妹という一般的な家庭出身にも関わらず

「極めて裕福な家庭の生まれだとよく勘違いされる」と述べています。

 

 

なぜこうした勘違いが起きるのでしょうか?

 

 

私自身は、ハヤカワさんよりもう少し斜に構えていて

現代の世の中には

「選択肢が沢山ある人」と「選択肢が相変わらずない人」の

両者が混在している社会だと考えています。

 

 

そしてその「選択肢」が有無には

金銭的余裕があるかないか、が

大きな影響を与えていると思うのです。

 

 

金銭的に余裕がない場合

世の中に沢山の選択肢があろうと、

自分自身の手で出来る選択は非常に限られたものになります。

 

 

例えば、進学を例に挙げてみましょう。

学区内の公立学校だけでなく私立の学校も複数ある地区に居住していても

私立の学校に通う費用が無ければ、公立学校以外の選択肢はないも同然です。

 

 

スーパーに沢山の商品が並んでいても、

金銭的な余裕がなければいつも見きり野菜を買うという

「選択」しかないかもしれません。

 

 

お金がない、ということは物理的に選択肢を奪い

徐々に「選択肢がある」ということに目を配る力すらも奪っていきます。

 

 

そのうち

「自分にはこれしか選べない」、

「こうするしかない」と限られた世界観で

判断することに慣れていってしまうのではないでしょうか…?

 

 

私自身、家庭の経済状況が良くないという

刷り込みがかなり強くあったため、

あらゆる選択を親に決められている感覚で学生時代を過ごしていました。

(私自身の人生についてはこちらに書いています⇒【大解剖】魔女はいかにして魔女になったか - 孤独な私がおしゃべりしたい時間)

 

反対に裕福であれば物理的に選択肢が増えるので

"選択"の出来るハヤカワさんは「裕福な家庭出身だ」と

勘違いされるのではないかと思います。

 

 

ではハヤカワ五味さんは

どうして一般家庭出身にも関わらず

広い視野で"選択"できるのでしょうか。

 

 

 

"選択された世界"の弊害

その理由は幼少期の過ごし方にあります。

 

 

神保町育ちのハヤカワ五味さんは

毎日のように三省堂神保町本店に足を運び

立ち読みを繰り返していたそうです。

 

 

その際に「興味があるもの」と「興味が持てなそうなもの」の

両方を手に取ることで世界の広さに気付くことが出来たのです。

 

 

ネット通販やSNSなどでは

私たちのアカウントデータを解析しながら

「おすすめ」や「趣味が合いそうな人」をおすすめしてくれます。

 

 

今やこの世界では

私たち自身で「興味があるか」どうか判断しなくても、

興味がある(と思われるもの)が自動的に提示してくれるのです。

 

 

しかし言い換えればこれは私たちが"選択"の

機会を失ったことを意味します。

 

 

金銭的な余裕がない家庭で育っていない人でも

何かを"選ぶ"ことが苦手な人は大勢いますよね。

 

 

それは私たちが普段接している世界がすでに

私たちのために"選択された"世界であり、

その中で好みのものをさらに選ぶことに慣れているからだと思います。

 

 

「好きなもの」「好きではないもの」の

玉石混交な世界で何かを選ぶ機会が減っていますから

当然自分の手で"選択"することも恐ろしくなってしまうのです。

 

 

選択できるようになるには

では、私たちが自分自身の手で"選択する"力を身につけるには

どうしたらよいのでしょうか?

 

 

ハヤカワ五味さんは

"「興味があるもの」と「興味が持てなそうなもの」の

両方を手に取ることで世界の広さに気付くことが出来た"

と述べています。

 

 

つまり意図的に「興味が持てなさそうなもの」にも

手を伸ばしてみて、その存在を感じてみる。

「興味が持てなさそうなもの」に触れてみる。

 

その上で、改めて自分で深めるものを選んでいく。

 

 

自分の手で意図的に"選択する"場面を作ることで

"選択"の力を身につけることが出来るようになるのだと思います。

 

 

 

 相容れない価値観をどう考えるか

「興味が持てなさそうなもの」に触れてみて

食わず嫌いで実は好きになれそうだった、というならお得です。

 

 

しかし実際には

「どうしても受け入れられそうにない…」というものもあるはずです。

 

 

そうした相容れない価値観とはどう向き合っていけばいいのでしょうか?

 

 

ハヤカワさんは「第3章 社会を知る--選択は並存していく」で

選択的夫婦別姓を例に挙げて次のように述べています。

 

 

社会が新しい選択肢を認めるということは、現行の選択肢が否定されたわけではありませんし、それぞれの考えを受け入れようと、そうでなかろうと、どの選択肢も法律の上で存在し得るのです。

引用元:私だけの選択をする22のルール

 

 

夫婦別姓が可能になっても、

夫婦同姓の権利が剥奪されるわけではないし

夫婦同姓論者の人すべてが

夫婦別姓認めなくてもいいのです。

 

 

ただ、法の下で「夫婦同姓」が可能になれば

夫婦別姓」の人たちと「夫婦同姓」の人たちが

並存するというだけのことなのです。

 

 

「興味を持てなそうなもの」に触れてみる機会を作った時

相容れない価値観にぶつかってしまうことがあるかもしれません。

 

 

そんな時は、受け入れなくてもいいのです。

一方でその価値観を駆逐することもなく、

並存を可能にすることが大切です。

 

 

感情的には相容れない価値観の

並存を認めること自体難しいかもしれません。

 

 

では生物学的に考えてみてはどうでしょうか?

 

 

1つの種が単一の選択肢しか取れない場合、

その選択が間違っていれば、一発ドカンで全滅です。

 

 

一方で複数の選択可能性があれば生存の可能性も上がります。

 

 

そしてこれはビジネスでも政治でも同じではないでしょうか。

単一選択肢ではなく複数の選択肢を持つことで

リスクを回避することが出来るのです。

 

 

まとめ "並存"の重要性

幸か不幸か最近は物議を醸す騒動が多く、

私がよく利用するTwitterでも様々な意見が飛び交っています。

 

 

Twitterのような短文かつ単発的なSNSは議論には向かないと考えていますが、

Twitter上では「議論」が活発です。

 

 

しかしその目的の多くが論破や中傷であり

相手を理解したり自分の論を深めようという意図はありません。

自分の相容れない選択肢を駆逐してしまうことが目的化してしまっています。

 

 

ですが、相容れない価値観でも並存の必要があります。

 

「相容れない価値観」を認めなくてもいい。

自分とは違う価値観の人がどんな選択をしているのか知る、

そして自分の選択を振り返ってみる。

並存を許す。

 

 

これが今の私たちにもっとも重要なことではないでしょうか。

 

 

興味を持ってくださった方は是非ハヤカワ五味さんの

「私だけの選択をする22のルール」手に取ってみてください!!

 

 

私だけの選択をする22のルール あふれる情報におぼれる前に今すべきこと
 

 

「選択」が大事だとわかったけど、

どうしたら"正しい選択ができるの?"という方には

こちらの記事がおすすめです⇒【生き方がわからない人へ】人生に「正解」はない。 - 孤独な私がおしゃべりしたい時間

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

魔女(まじょ)@意識は高くないマン (@korokorokemari) | Twitter

批評を楽しむための一滴の蜜

f:id:witch_of_book:20191202210033j:plain

他人を罵倒する言葉を入力する私たち

「一億総批評家」なんて言葉もあるくらい、

現代では他人の行動をとにかく「良い」「悪い」と判断したがる人が増えています。

 

 

高見の見物で他人のやることを評価するのはたしかにおもしろいかもしれません。

ちょっとSNSを覗いたら自分と違う意見の人ばかり。

自分と違う点を挙げて勝手に判決を下せばいいのだから簡単なものです。

 

 

一方で、あなたが全く知らない人から

「あなたのやってることはおかしいですよ?」と

突然理由もなく言われたらいい気持ちはしないですよね。

その人と関わることは勿論、発信すること自体が億劫になってしまうかもしれません。

 

 

その最たるものが"クソリプ"と呼ばれるものの一部でしょう。

 

 

こうした背景から「批評=嫌なモノ」となんとなく捉えられがちです。

 

 

しかし「批評」とは本来、こう言ったものではないはずです。

 

 

 批評を読んだ人が、

読む前よりも対象とする作品や作者を

もっと興味深いと思ってくれればそれでいいし、

それが一番大事な批評の仕事だと思っています。

  

これは「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」(著:北村紗衣)の中の一節です。

 

 

「批評」とはただ相手をこき下ろすのではなく、

第3者に向けて届けるものである、という主張です。

 

 

今回は批評とは何かを考えながら

「おもしろい批評」をするにはどうしたら良いかを考えていきます!

 

 

 

「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」はどんな本?

ワンダーウーマン

ゲーム・オブ・スローンズ

華麗なるギャツビー

アナと雪の女王

ファイト・クラブ

キングスマン

ダウントン・アビー

 

などの有名作品を「フェミニスト」の視点から読み解いた批評集。

 

"フェミニズム"…?と思う方もいるかもしれませんが、

ひとつの観点で複数の作品を深堀しているという点だけでも

とってもおもしろい1冊です。

 

お砂糖とスパイスと爆発的な何か?不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

お砂糖とスパイスと爆発的な何か?不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

 

 

 

一部には「フェミニスト=感情的に怒鳴り散らすメス」と

認識する人もいるようですが、

この本は全くそういった論調ではありません。

 

 

「読み手が対象としている作品に興味を持ってくれるか」 

 

 

それが考えるべきポイントであり、

貶すことは目的ではないからです。

  

この点がこの本のおもしろさの基盤だと私は考えています。

 

著者の北村紗衣さんについて

TBS系で放送中のバライティーマツコの知らない世界」に出演した

Wikipediaの世界」の紹介者としてご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

北村さんはウィリアム・シェイクスピアフェミニスト批評をご専門とされています。

 

 

フェミニスト批評とは作品に秘められている性差別を指摘するなど

フェミニスト」の観点から作品を読み解くことです。

 

 

「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」は

フェミニスト」の観点から有名作品を批評した批評集です。

 

 

批評とは呼べない「批評」

 

あと俺に意見して、俺を変えようとしても無理。
だって考えてみ。日常でいきなり着ぐるみかぶって顔も見えへん、名乗りもせんやつが出てきて「お前のここが悪いから変えろ!」とか言われて誰が「はい!わかりました」ってなんねん。
よくその状況で説き伏せられると思うよな。

 

 冒頭で一億総批評家社会について触れましたが、

「総批評家社会」の正体はこれです。

 

 

SNSという"匿名"(実は全く匿名ではない)の笠を着て、

見ず知らずの人に「お前のここが悪いから変えろ!」と通り魔のように宣言し

相手が納得するまで殴りつける。

 

 

引用のツイートでもダルビッシュさんが一蹴していますが

こうしたものは取るに足らない、

相手にするだけ無駄なものと私も思います。

 

 

何故ならこうした言葉を発する人の多くが

どうせ何を言っても相手を受け入れる気がないからです。

 

勝ち負けの精神に囚われるな

どういう意味かと言いますと、

始めから「相手を叩きのめす」ことが目的であって

例え話し合いのうちに同意できそうな箇所があったとしても、

そこには同意せずひたすら叩ける場所を探し続けるのです。

 

 

他人に不躾な言葉を投げつけることの背景には

「勝ち負け意識」があるのではないかと個人的には考えています。

 

 

「有名人に噛み付ける自分」

「シニカルでいられる自分」

 

 

男性学研究の精鋭、田中俊之先生がよく述べられていることですが

"男性が「男らしさ」を証明する方法は、

「達成」と「逸脱」"の2種類だと言われています。

(必要悪?「男らしさ」が猛威を振るう深いワケ | 男性学・田中俊之のお悩み相談室 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 ほか )

 

例えば成績優秀であれば「達成」、

勉強が苦手でも「ヤンキー化」 という逸脱で男らしさを立脚するというわけです

 

 

「達成」か「逸脱」で自己を実現しようとするのは

男性だけではなく現代人一般に見られる傾向ではないでしょうか…?

 

 

 

同種の「論破」「くだらない議論に勝ちたい」なども

無意味な勝ち負け意識の現れであり

あまり意味のある行為とは思えません。

 

 

批評は「排出」ではなく「吸収」

批評では嫌いな作品はとにかく叩いて貶せばいい

という訳ではありません。

 

 

フェミニスト批評の考え方を身につけることで、

私はハスクリーの『素晴らしい世界』に対する感想を、

ただの嫌いから、興味深い嫌いに変えることができました。

(お砂糖とスパイスと爆発的な何か,北村,2019)

 

 

例え嫌いなものであっても、自分の関心があるテーマ視点で見ることによって

対象を楽しめるようになるのです。

 

 

対象を「どんな切り口」で分析して「何を感じるか」

それこそがおもしろさのポイントなのです。

 

 

「批評」とはただ貶して終わり!!でないのです。

 

 

まとめ おもしろい批評をしよう

批評の役割とは

 

 批評を読んだ人が、

読む前よりも対象とする作品や作者を

もっと興味深いと思ってくれればそれでいいし、

それが一番大事な批評の仕事だと思っています。

(お砂糖とスパイスと爆発的な何か,北村,2019)

 

 

"その作品を知らない人が興味を持つような導き"を与えることです。

 

 

「好きなもの」でも「嫌いなもの」でも批評してOK。

でも「嫌い」だから叩くのではなく、

 

 

自分の嫌いなものにも興味を持ってもらえるようなコメントを残す

 

 

それが批評なのです。

 

興味を持ってくださった方は是非

「お砂糖とスパイスと爆発的な何か」を

手に取ってみてください!!

 

お砂糖とスパイスと爆発的な何か?不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

お砂糖とスパイスと爆発的な何か?不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

魔女(まじょ)@意識は高くないマン (@korokorokemari) | Twitterでした。

フェミニズムは「女のためのもの」じゃないって知ってた?

 

f:id:witch_of_book:20191201145540j:plain

同じ目線から世界を見るために。

 

 
「最近、自己主張する女が多くてうっぜぇな…」
「"フェミニスト"とかいうブスのお気持ちwwww」
 
 
なんて言葉を目にすること、ありますよね。
 
気付けば「フェミニスト」という言葉自体に嫌なイメージが付きまとって
フェミニスト的主張をする人(フェミニストと自称はしていない)というだけで
叩かれる始末。
 
 
でも、フェミニストって本当に嫌な人たちなのでしょうか? 
女性のためだけのもの?
私はそうは思いません。
 
 
何故なら、フェミニストとは本来
「性別を理由とした差別の改善」を目的とする主張だからです。
 
"女性の権利拡大!!"と捉えられがちですが、
実際には男性に対する性差別も是正の対象なのです。
 
 
今回はジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた-あなたがあなたらしくいられるための29問」(監修:佐藤文香 著:一橋大学社会学佐藤文香ゼミ生一同)を通じて学んだ、「結局フェミニズムって何なの?」ということをご紹介します。
 
 
この本を読めば
フェミニズムは危険な思想だ!!
女性専用車両って男性への逆差別だろ!!」というフェミニストへの怒りは収まると思います。
 
 
また、自分自身の中にあった男性、女性への偏見があらわになり、性別のあり方について考え直すことができます。
 

 

 

 

 

 「ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた-あなたがあなたらしくいられるための29問」はどんな本?

 
タイトルにある「29問」の質問は、一橋大学ジェンダー研究ゼミに所属する学生さんたちが
実際に投げかけられた問いです。
 
 
例えばこんなこと。
・男女平等っていうけど、女性も「女らしさ」を利用しているよね?
フェミニズムって危険な思想なんでしょ?
・どうしてフェミニズムは萌えキャラを目の敵にするの?
・男だって大変なのに、女がすぐハラスメントと騒ぐのって逆差別では?
(引用元:「ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた-あなたがあなたらしくいられるための29問」目次)

 

どれもTwitterなどで一度は見たことがある主張ではないでしょうか?
 
よく見たことのある29問の質問に答える形で書かれた本で
とっても優しい語り掛けになっています。
いわゆる新書のような文体の本が苦手な方でもさっくり読めますよ!
 
 
におすすめの入門書です。
 

ジェンダーって何?

ジェンダー」とは体の性別(sex)に対して、社会的・文化的に作られる性別を指します。
「男の子なんだから泣いちゃダメ!」とか
「女の子なんだからお料理はできなきゃ~」みたいなもののことです。
 
 
この「ジェンダー」、簡単に言うと性別による役割分担によって
実は私たちの生き方はかなり制約を受けています。
 
 
ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた-あなたがあなたらしくいられるための29問」ではこうした「ジェンダーの当然」とされていることに疑問を投げかけながら
どうすれば自分らしく生きられるのかを考えていきます。
 
その中のキーワードの一つがフェミニズムです。
 
 
 

フェミニズムは「男性より女性を!!」と叫ぶ運動?

フェミニズムが大きくバッシングされるその理由の一つが
”女性の権利拡大”を主張する人達と認識され、
男性にとっては「男性を不利な状態にするもの」「男性の権利を阻害するもの」と
認識されてしまうことかと思います。
 
 
これについて「20.管理職の女性を30%にするって、女性だけを優遇する逆差別じゃない?」というセクションでこの様に触れられています。
 
 
「男性が不利になるのでは」との意見もありますが、これまで男女で異なっていたスタート地点をそろえたり、片方のみに多く置かれていた障害物を取り除いたりすることで、両者が対等に参加できるようにするための取り組みととらえるのが適切でしょう。
(引用元: 「ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた-あなたがあなたらしくいられるための29問」p129)
 
 
つまり、男性が有利になる様に女性側に置かれていたハードルを取り除きますねという意味合いです。女性が男性より有利になる様にしましょう!という主旨ではないのです。
 
 
 

男だって「男」というだけで不利なんだ!!という話

 
勿論「男だって男でいるからこその辛さもある!!」という主張も当然です。
 
この手の話になると男性の自殺率が女性より高い、という話が出てきますが
例え自殺を選ばなかったとしても、この社会から男性が受けるプレッシャーは相当なものだと思います。(女性とは違った意味で)
 
 
男性は
  • いい学歴であること
  • 安定した仕事(高い年収)に就いていること
  • 家族を養うこと
  • 死ぬまで働くこと
 「当然成し遂げるべきこと」がはっきり決められていて、
実現できていなければ激しい風当たりにさらされることも少なくありません。
 
安定した職に就くことと結婚には密接な関係がありますから
ひとつのステップに躓いたらその先にいけない…
たった一つの失敗で「人生終わり」とレッテルを貼られてしまう可能性すらあります。
 
 
一方でこうした性別による役割の固定は実は女性差別の裏返しでもあります。
 
男性が求められる役割に対し
女性は
  • 男性より低い学歴であること
  • 職場では出世づらい(安い賃金)地位にいること
  • 家族を支えること
  • 必要に応じて仕事を辞めること
などが求められています。 
 
 
それぞれの性別に対する役割を固めてしまうことによる弊害は
男女どちらの方向にも発生しています。
 
言い換えれば、女性への差別を是正することは男性への差別を是正することであり、
男性への差別を是正することは女性への差別を是正することに繋がるのです。
 
 
勿論「ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた-あなたがあなたらしくいられるための29問」では男性が受けている性差別にも触れています。
もっと男性視点で考えを深めたい場合は「男子が10代のうちに考えておきたいこと」(著:田中俊之)もおすすめです!
 
男子が10代のうちに考えておきたいこと (岩波ジュニア新書)

男子が10代のうちに考えておきたいこと (岩波ジュニア新書)

 

 

このブログでは「女だけじゃなく男も苦しんでるんだ!!」という人向けにこんな記事も書いています。⇒「40過ぎで結婚していないのはおかしい」を作ったのは誰か - 孤独な私がおしゃべりしたい時間
 
 
 

まとめ 「クソフェミ」かどうかより「性差別を無くす気があるか」知りたい

Twitter上には男を叩きたいだけのやつがいるじゃないか!!」と言われたら
納得せざるを得ない部分があるのも、事実です。
 
 
SNSは議論に向かないと考えているのでそもそも論に入り込んでしまいますが、
そこを除いても感情的に互いの性をバッシングする勢いはまだまだ強いと思います。
定義通りの「フェミニスト」でなくてもフェミニストを名乗っている人もいるかもしれません。
 
 
 
それでも忘れないでいたいのはフェミニストの本来の目的は
女性の"権力拡大"ではなく、目線を同じにしたいという意思です。
そして男性への性差別も同様になくしていくべきものなのです。 
 
  
 
気になった方は是非「ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた-あなたがあなたらしくいられるための29問」、読んでみてください。 
 ここまで読んでくださってありがとうございました。

「彼氏のこと、まだ本当に好き?」気持ちを整理するためのたった1つの軸

こんばんは、魔女@人生エンジョイがーる (@korokorokemari) | Twitterです。

 

恋人と付き合い始めて数か月

「あれ、彼のこと、本当に好きなのかな…?」

悩んでいませんか?

 

 

付き合い続けるべきか、別れるべきか。

 

 

「あなたの人生に相手が必要か」

この観点から考えるだけで関係性を続けるべきか

見極めることが出来ます。

 

f:id:witch_of_book:20190923224158j:plain

私、このままでいいのかな…?


 

 

1.恋人と過ごす究極の目的

「自分の人生に相手が必要か」

この観点から決断をする理由は簡単です。

 

 

恋人と過ごす究極の目的は

「自分を幸せにすること」だからです。

 

 

いやいや、私は相手に尽くしたいのよ

という人もいるかもしれません。

 

 

でもこれも「自分が」相手に尽くすことに喜びを感じるから、

相手に優しくしているんですよね。

 

 

結婚したいから、子どもが欲しいから…

どんな理由でも同じで

「自分が快適な状態」「自分の願望が叶っている状態」

であるように行動しているはずです。

 

 

ですので、恋人といて楽しくなかったり

自分の道が閉ざされてしまったり

「相手がいない方が人生が快適」なら

別れた方がいいのです。

 

 

【生き方がわからない人へ】人生に「正解」はない。 - 孤独な私がおしゃべりしたい時間でも書きましたが、人生の目的=自分が笑顔になることです。

 

 

どうしたら"いい"のかただ漠然と考えるのではなく、

自分が幸せになれるのかという視点で考えてみましょう。

 

witch-of-book.hatenablog.com

 

 

2.「好きかわからない」4つの状態と対処法

 好きかわからなくなってしまったということは

少なくとも付き合い始めの頃とは

関係性が変化したことを表しています。

 

 

例えば

  • 彼氏にドキドキしなくなってしまった
  • 嫌な面がどんどん目につくようになってしまった
  • 好きより不安が大きくなってしまった
  • 一緒にいて楽しいと思えなくなった

といったケースがよく見られます。

 

 

①彼氏にドキドキしなくなってしまった

これはもっとも一般的な変化です。

 

 

このケースは

 

  • 「恋」から「愛」に変わった
  • 相手に魅力を感じなくなった

 

の大きく2パターンに分けることが出来ます。

 

 

あなたは恋人に「恋人関係」を求めていますか?

それとも「人生のパートナー」を求めていますか?

 

 

一説ではドキドキした時に分泌される脳内物質が

3年しか有効でないと言われているように

「恋」の期限は短いもの。

 

 

彼氏がドキドキする相手から

人生を共に歩く「パートナー」としての

落ち着いた関係に変化していったのなら

心配する必要はないかもしれません。

 

 

あなたが人生のパートナーを求めているとしたら、

ふさわしい関係性に落ち着いたと考えることができます。

 

 

一方で単純に相手に魅力を感じなくなったなら、

その理由を考えてみてください。

 

 

「興味が持てない」「どうでもいい」

という気持ちになっていたら

 

「相手が自分の人生にいてもいなくても同じ」

ということですから、

共に歩んでいく必要はないかもしれません。

 

 

②嫌な面がどんどん目につくようになってしまった

気になる「嫌な面」は変えられるようなところでしょうか?

 

 

パートナーやあなたの年齢にもよりますが、

大人が性格や習慣を変えることはかなり難しいです。

 

 

感情に任せて

「やめてって言ったでしょ!!!」

なんて怒ったところで嫌な面がなくなるどころか

ふたりの関係性は悪くなってしまいます。

 

 

冷静に、やめてほしいとお願いすることはできますか?

 

 

関係を続けていくと沢山の困難にぶつかります。

苦しい時に相談したり話し合うことができなければ

どちらにしろ付き合い続けるのは難しいでしょう。

 

 

嫌だ、という気持ちを伝えた時に相手が

どんな反応をするか、

あなたは気持ちをしっかり伝えられるのか、

 

ふたりの関係性を見直してみてください。

 

 

③好きより不安が大きくなってしまった

彼氏の束縛やお金の問題などで

未来が不安になった場合も、

 

 

彼氏と話し合うことができるかが

大きなカギを握ります。

 

 

あなたが「不安」だと伝えた時に、

パートナーはどんな反応をするでしょうか?

 

 

不安な気持を伝えても

あなたを不安にさせる行動をつづけるなら、

パートナーはあなたと幸福な関係性を

育む気がないのかもしれません。

 

 

好きになった相手が自分を大事にしてくれないなんて

かなりショッキングな事実なので

目を逸らしたくなるかもしれません。

 

 

しかしはっきり言って、

そんな人と一緒にいても

あなたは幸せになれません。

 

 

もちろん「不幸な自分」が好きなら別ですが、

たった一度の人生。

 

 

笑顔で生きていくためには

自分の幸せを考えてくれる人

一緒の時間を過ごした方が

良くありませんか?

 

 

④一緒にいて楽しいと思えなくなった

一緒にいても楽しいと

思えなくなってしまったら

もうお別れのタイミングかもしれません。

 

 

ドキドキする感情がなくなっても

ふたりで笑い合える関係性なら

友達のような形で一緒にいることもできます。

 

 

ですが、一緒にいても楽しくないなんて

友達ですらないですよね…。

 

 

こうなってしまうと

本当に一緒にいる意味がないので

無理に付き合い続ける必要はないと思います。

 

 

 

それでもなんとかして

「付き合いつづけたい!!」と思うのなら、

その理由は何でしょうか?

 

 

自分の気持ちに向き合って考えてみると

パートナーとの新しい関係性が見えてくるかもしれません。

 

 

 

3.他の男の人と会うのは危険

この手のアドバイスの一つとして

気持を確かめるために

他の男性と会うことを

おすすめされる場合もあると思います。

 

 

でも「好きじゃないかも」と

思い始めているということは

関係性に陰りがさしているはず。

 

 

そんな中で他の男性と会ったことが

パートナーにバレると

相手が逆上したり

関係が更にこじれるかもしれません。

 

 

他の男性と会ってみたけど

やっぱり彼が好き!!

 

 

 だと気が付いても

彼の気持ちが修復できない状態に

なってしまうかもしれません。

 

 

 

自分の気持ちを確認することは大切ですが、

それは彼の気持ちを傷つけない範囲で

行わなければいけません。

 

 

4.あなたは価値のある人間です!

この記事を読んでくださっている方の中には

 

 

「この人以外、

私を好きになってくれる人なんて

いないんだから…」

 

 

と我慢してしまっている人がいるかもしれません。

 

 

実は私もそうでした。

「40過ぎで結婚していないのはおかしい」を作ったのは誰か - 孤独な私がおしゃべりしたい時間でもちらっと書いたのですが、

私は普通の人より性体験が遅め。

 

 

3人の人に

「セックスさせてくれないなんて、

彼女として見れない」

と言われフラれました。

 

 

どの人にもこの言葉を言われた時、

「この人しか自分を愛してくれる人は

いないのかもしれない」

「ここで彼氏に身体を捧げられない

なんて女として失格だ」

と葛藤したし自分を沢山責めました。

 

 

ただ、同時にやっぱりおかしいと思ったんです。

 

 

当時、私が気にしていたのは

妊娠のリスク

 

 

女の子として、妊娠を心配するのは当然のこと。

その不安に寄り添ってくれない男性を信頼して

身体を預けられないのは当たり前です。

 

 

そんな、感じて当たり前の不安に

寄り添うことなく

「大丈夫大丈夫!」

「やってみたら何とかなるって!」

無責任に自分の願望を押し通そうとする人が

本当に私を愛しているんでしょうか?

 

 

そこまで考えたら馬鹿らしくなって

結局全員と別れてしまいました。

 

 

それでも今はしっかり信頼できるパートナーに

出会うことができました。

 

 

今のパートナーは

心から私を愛してくれている人だと、

胸を張って言えます。

 

 

自分を押し殺したり不安を閉じ込めたり…

そんな形で付き合っても

いつかは別れが訪れます。

 

 

だったら、ロスした時間が少ないうちに

さっさと切り替えて新しい人と出会った方が

きっと楽しい未来があなたを待っていますよ!!

 

 

5.まとめ

「彼氏のこと、本当に好きなのかな?」と

迷った時は、

 

 

彼と一緒にいることが

自分の笑顔に繋がるのか

 

 

自分の幸せを軸に自分の気持ちと

彼氏との関係性を見直してみましょう!

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

魔女@人生エンジョイがーる (@korokorokemari) | Twitterでした。

「コンビニからエロ本が無くなる」は福音か?

こんばんは、魔女@60記事達成!✌︎('ω')✌︎ (@korokorokemari) on Twitterです。

 

去る8月31日は、ついに来たあの日でした。

それは何か。

 

コンビニから成人向け雑誌が撤廃される日です。

今日、全国のコンビニからエロ本が消える…撤去される“成人向け雑誌”はこれからどうなる? 『日本エロ本全史』著者・安田理央×93年生まれのエロ本ライター・姫乃たまが緊急対談!(BLOGOS編集部)

話題になったのは撤廃が発表された2019年1月ごろでしたが、約半年の月日を経てついにその日が来ました。

 

私は完全になくす必要はないのでは?と思っている派なのでなんとも感慨深いです。

 

そこで今日は「コンビニからエロ本がなくなるのはいいことなの?」か考えてみようと思います。

 

 

 

なんでコンビニからエロ本をなくしたいの?

コンビニからエロ本がなくなる、それを知った時まず思いました。

 

「なんでコンビニからエロ本をなくしたいの?」

 

漫画家でありライターでもあり、元エロ本での執筆もされていた田房永子さんは次の記事でこのように述べています。

エロ本がコンビニからなくなる日に、あるフェミニストが思うこと(田房 永子) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)

 

それにやはり、「家出JK猥褻ナマ姦」などの文字が躍る本を、子どもたちにも見えてしまう位置に置いているのは、社会として問題なのではないか、とも思うようになったのです。

 

多くの人がこの意見には同意するはずです。

それはわかる。

 

でもなんで、「社会として問題なのか」それをうまく説明できるでしょうか?

 

ちなみに田房永子さんについては女が性欲を抱くなんて!!けしからん!!と思う人へ - 孤独な私がおしゃべりしたい時間でも述べていますのでよかったらご覧ください。

 

「エロのない世界」がいい世界?

エロ本、エロ動画、下ネタ…

 

日常には様々な「消費のためのエロ」が沢山あります。そして日常からの逸脱感を煽るため過激で卑猥な言葉やポーズで欲望を刺激します。

 

こうしたものが子どもの目に触れて欲しくない!ショックを与えたくない!

 

そう思うのも無理はありません。

 

それでも、私は「エロのない世界」がいい世界だとは思えません。日本の性教育が抑圧的な今だからこそ、教育以外の場面で現実の「消費としての性」を認識しておくべきだと考えています。

 

 

無菌室で育つ「いい子」

性から隔離された子どもが大人になって社会に出たら、自分の身を守れるんでしょうか?

 

過度に警戒心を抱かされた子どもは適切な形で異性を愛せるでしょうか?

 

根本的な問題は「コンビニにエロ本があるかないか」ではなく、どのような形で日本社会にはびこるエロ文化を子どもに学ばせるのかという点にあるのではないかと思います。

 

適切な性教育を考える

日本では性的なことは悪いこと!と学校や家庭でかなり強く教育されます。

 

そしてその反動で過激な消費のためのエロをコソコソ子見る…という人が大半です。

 

ですが、本来性的な接触は禁止されたり抑圧されたりするべきものではありません。

 

「大切にするべきものだ」ということを学びながら適切に飼いならす必要があるのです。

 

 

封じ込めに意味はあるのか?

子どもの教育、という観点以外で見ると「封じ込め」が本当にプラスの面に作用するのかも個人的にはかなり疑問です。

 

その理由は「歌舞伎町浄化作戦」という大規模掃討事例にあります。

 

歌舞伎町浄化作戦について思うこと

皆さんは歌舞伎町浄化作戦についてご存知でしょうか?

 

2004年暮れに東京都知事石原慎太郎の招聘で就任した警察庁出身の副知事・竹花豊の主導により「歌舞伎町浄化作戦」が実施され、店舗の摘発が積極的に行われた。この際に性風俗店・アダルトショップなどが閉店を余儀なくされ、2005年に竹花が出向解除により警察庁へ復帰して以降も、警視庁の威信をかけた重点摘発が続けられている。

引用元:Wikipedia  歌舞伎町
 

 

 

歌舞伎町浄化作戦とは石原都知事時代に行われた一連の店舗摘発のことです。

 簡単に言うと風俗店を無くすぜ!!てことですね。

 

これは風俗が倫理的にいいか悪いか、と言うこと以上に風俗店が暴力団などの資金源になることから、資金源根絶のために行ったもの。

 

しかし、これは風俗店で働く方達を危険に晒すことになったと思います。

 

風俗店は逆にとっても働く人にとってもまだまだ需要があるもの。女の貧困は「自業自得」ではなく国の問題だ!!「 東京貧困女子。」 - 孤独な私がおしゃべりしたい時間にも書きましたが、貧困女性のセーフティネットと考えられていた時代もありました。

 

すると当然、摘発が行われようとも風俗店そのものは無くなりません。

 

風俗店は店舗型からホテルや自宅へ派遣される「派遣型」へと変貌しました。

 

この「派遣型」が危険性を高めていると思うのです。

 

というのも、例えばいわゆる本番強要なんてことが起こってもホテルや客の自宅に行ってしまっていたら、風俗嬢は助けを求めたり逃げたりすることができません。

 

強要する側にとっては「強要しやすい環境」が整いました。

 

外見的には綺麗になったように見せても、その実高いリスクが生じているのです。

 

 

裏のエロ本の誕生?


そこで思うのが、コンビニからエロ本がなくなっても、やっぱりエロ本を欲しい人はいるんじゃないかなってことなんです。

 

そして「隠されたからこそ」より危険性の高いエロ本が生まれる、なんてことはないのかな?と思うのです。

 

未成年のモザイクなしの写真が一生出回るとか、そう言った恐ろしい事態を生む温床にならないか気がかりなのです。

 

もちろんビニ本時代にモザイクなしの裏本も出回っていたわけですが、それよりかなり危険なものが出るのでは…?と危惧しています。

 

 

まとめ SEXとどう付き合うのか

人間という動物として生きる以上、性的なものと離れることはほとんど不可能です。

 

しかしそれをどう飼いならすか、問題に正面から向き合って解決することが日本は特に苦手です。

 

このブログでもいくつかフェミニズム的な論に触れてきましたが、個人的には性欲を隠蔽したり、「女を性的に見るな!」みたいなことも倫理的な正当性が仮にあっても、現実的には飲み込まれない主張だと思います。

 

性的なものは人間と共にあるもの。

それをどう飼いならすのか。

他人を「1人の個人」として捉えながらどう処理するのか。

 

この点をもっと考えていくべきだと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます。魔女@60記事達成!✌︎('ω')✌︎ (@korokorokemari) on Twitterでした。